先日出先でとてもキツイことがあった。
簡単には過ぎ去らないことで、状況を変えるため、自分に出来ることはあまりない。
そこでまず帰りに温泉に寄った。火曜日だったので、GEOで漫画もレンタルした。
そして帰宅後ベッドで全六巻の漫画を三巻辺りまで読み、眠った。
そこまで来ると悩み事は相応の場所に納まった。
つまり他の悩みを差し置いて注目を集めようと強く自己主張しなくなった。
世界を揺るがす国際問題、環境問題、天災の危機と同じくらいの威力。
恐ろしく悩ましいけれど、今すぐ胃をギリギリ締め上げるほどの力はない。
中国に「かんたんのまくら」というお話がある。「邯鄲の枕」と書く。
悩み事を抱えた廬生という若者が仙人に出会い、不思議な力で大出世を遂げる。
妻を娶り、孫子に恵まれ、齢満ち足りて人生を振り返りながら生涯を終えた。
ふと気づくと廬生は仙人に出会った日に戻っていた。
煮えるのを待っていた粟粥さえまだ煮えていないほどの時間だった。
廬生は抱えていた問題がそのままであることに気付く。
しかしひとつの人生を一瞬で経験したことで現状に対する見方は変わっていた。
というお話。
物語に触れるのってこれと似ている。
短い時間で別の人になって、別の人生を生きると、ある種の経験値が上がる。
現状に対する見方も変わる。
「大草原の小さな家」シリーズを書いたローラ・I・ワイルダーという人がいる。
この人の「はじめの四年間」という本に、彼女が妊娠していたころの話がある。
妊婦が大草原のど真ん中、家電抜きで夫と娘の世話を果たすのはたいへんだ。
そんなある日、近所の男がある日とつぜんやってきて
「これを読めば気晴らしになると思ったんですよ」
と、ペーパーバックの本をどっさり置いて行く。
ちなみに西洋占星術では本は水星、また9ハウスで象徴される。
双子座の支配星である水星には短距離の移動という意味があり
9ハウスには海外旅行という意味もある。
つまり本は人を遠い世界に連れて行く力がある。
たちまち、今までせまくるしく、むっとした暖めすぎの家の四方の壁がぱっと広がり、ローラはウォルター・スコットのわくわくする小説のページを夢中でめくりながら、勇ましい騎士や美しい貴婦人とともに、スコットランドの湖や川のほとりをさまよい、城や塔や貴族の館や貴婦人の部屋などをおとずれた。
食べ物を見たり、においをかいだだけで気分が悪くなるのも忘れ、おおいそぎで料理をすませると、ローラはまた本の中の世界にまいもどるのだった。何冊かの本をぜんぶ読んでしまうと、ローラははっと現実にもどり、ずっと気分がよくなっているのに気付いた。
こういう経験に味を占めると、人は本が好きになる。
でも、大きな悩み事を抱えているときは本を手にする気持ちがわかないこともある。
「遊んでいる暇はない」
「余裕がないから気持ちが落ち着かない」
「物語にふけるなんて逃げだ」
本を手に取る前からこういう風に考えてしまったりする。
しかしですね。
悶々とした悩み事というのは、西洋占星術では海王星で表されるのですよ。
海王星は想像力の象徴。目の前に存在しないものをリアルに感じさせる力がある。
物事が起きる前から最悪の事態を生々しく感じさせたり
起きた物事を実際以上に悲惨なものに感じさせる力。疑心暗鬼もそうですね。
いわゆる妄想力。これが酷くなると専門家の助けが必要になることもある。
一方で、この想像する力は夢とロマンスの星でもある。
まだ存在しないすばらしいものを世に送り出す道を開き
この世で体験できる以上の、人知を超えた知恵や真理を理解させることもできる。
なので創造性のある仕事に就く人のホロスコープは、たいてい海王星が効いてる。
この海王星の想像力が妄想に注がれているのが、悩みの袋小路状態。
物語にはこの袋小路にどこでもドアをつける力がある。
いわば袋小路からの脱出。
まあ逃げっちゃ逃げだけど、いてもしょうがないじゃん。袋小路なんか。
活字に集中できないなら漫画でも、ドラマでも、映画でもいいし、落語もいい。
自分に注ぎこまれた海王星エネルギーを発揮できるスタイルを選ぶ。
そして目の前の悩み事の世界にどこでもドアをつけて、物語の世界に入り込む。
スコットの書いた、昔の物語の胸おどるすばらしい場面は、冬枯れのさびしい大草原にぽつんと建っている小さな家とはかなりかけはなれていたけれど、ローラは自分をとりこにしたそれらの物語の魔力と音楽にとても元気づけられたので、それからの冬を明るくのりきることができた。
というわけで、お悩みのお客様に対して
「漫画をお読みになってはいかがでしょうか」
と申し上げるのは、占星術的な根拠のあることなのでございます。
ネバーエバー適当に言っているわけじゃないんですのよ。
新ジャンル・ハートフルーホラー。火曜日はこれを全巻借りて読んでいた。