こんにちは。横文字にうといポーラです。はじめてダイバーシティって聞いたときはお台場に何かできたのかと思ったよね。
すっかり外来語として定着してきた感のある言葉にネガティブ、ポジティブというものがあります。ネガ・ポジといえば昭和世代にとってはカメラのフィルム、または魔法の天使クリィーミーマミに出てきた猫型の妖精のことでした。
でも最近は「ネガティブな感情にとらわれず、ポジティブシンキングを意識しましょう」といった風に、ポジティブ=いいもの、ネガティブ=悪いもの、という使われ方をします。とくにスピリチュアル業界と引き寄せ界隈ではこれらの言葉なしに話をすすめられないほどです。しかし「ネガティブ」って悪いものなのでしょうか。
陰の気と陽の気
日本では似たような使われ方をする言葉として陰気、陽気という表現があります。じめじめと薄暗く汚い場所や、愚痴っぽく悲観的で依存的な性格を陰気、明るく開放的で風通しのよい場所や大らかで愉快、楽観的な性格を陽気といいます。こうして見ると明らかに陽気な方が感じがいい。そのせいか最近お手軽系風水本では陽の気=いいもの、陰の気=悪いものという使われ方をしているのも見ます。
しかし陰陽五行思想でなる易の64卦で陽が極まった乾為天は最高の卦というわけではありません。陽が極まれば下るしかない。黄小娥先生は黄小娥の易入門 で乾為天を「登りすぎた竜」とし、男性の壮年期にたとえていますが、「忙しくて外ばかり飛び歩いていて、家庭に落着けない人」「緊張だけで実収入をともなわない」と書いていらっしゃいます。これはめざすべき最高の状態でしょうか。
ポジティブシンキングが陽が極まった思想だとしたら、それはハイテンションで熱狂の真っただ中にいるようなもの。ライブで歓喜極まって恍惚状態で失神寸前というあれこそがポジティブシンキングといえるかもしれません。
「いやいや、易でいうところの陰陽とポジティブシンキング、ネガティブシンキングは違う」と思う方もいらっしゃるでしょう。よーし、これからポーラが欧米でいうところのポジティブがどんなものか教えてあげるよ。
「ポジティブシンキング」「引き寄せ」の生みの親
これまで何度か書いて来ましたが、日本の思想のベースに仏教や儒教の思想があるように、欧米の思想にはキリスト教が強く影響しています。いまやスピ業界では常識の「思いは実現化する」という考え方はニューソートといって、従来のキリスト教に対するカウンターカルチャーとして生まれました。
ニューソート運動は「ポジティブ・シンキング」という言葉を通して普及し、アメリカの価値観[8]や成功哲学や自己啓発のルーツの一つとされている[9]。
マーチン・A・ラーソンはニューソートの主張を以下のように要約する[10]。
- 人間の心情と意識と生命は宇宙と直結している。
- あらゆる病の本質は自己意識に対する無知が原因である。
- 原罪は存在せず、万人が「キリスト」の力を内包している。
- 全人類に、喜びと成長と発展と幸福の機会が既に与えられている。
- 人間は内なる「神」の一部を顕現すべく無限の発展を遂げつつある。
- 正統的宗教哲学は数百年間過ちを犯し続けてきた。
- 愛の力は神の意志の地上的表現である。
どれもスピリチュアル界隈の書籍を読んでこられた方には馴染みの深い話ばかりですよね。 「これがキリスト教?」と驚かれた方、「法則は不変なのね」と確信を深められた方、いろいろだと思います。
しかしこれまでお話ししてきたように、スピ業界は厳密にはキリスト教にマッチしません。経典がない神道と違ってキリスト教の教えは非常に具体的で制限が多く、神の教えに反する行為はすべて神に対する罪とさだめられています。
いかなる偶像も持ち込んではならない。異教の神に仕えてはならない。目に見えない霊との接触は厳禁、占いするやつは石打ちで死刑!とくに重要なのはキリスト教が一神教で他の宗教の神々をすべて邪教としているということ。女神や精霊と接触して話を聞いてもらうなんてもっての外です。*1
欧米スピリチュアル業界はこのような矛盾を抱えているので、オカルト大国イギリスはいざ知らず、アメリカ由来のスピ業界ではキリスト教がベースにあっても聖書を前面に押し出すわけにいきません。「神が女神と同席するかよ」などさまざまな突っ込みを回避すべく「神」を「宇宙」に置き換えたりしながらふんわりキリシタンテイストのいいとこどりで話を進めています。
とはいえこういった背景があるからこそ「ネガティブな感情に支配されないで」といえば「人を憎んではなりません。あなたが人をゆるすなら神もあなたをゆるされるでしょう。神の前ではあなたも罪びとなのです」とイエスが語ったあれね、とみなまで言わずとも話が通じていたわけですね。
ニューエイジのジェネレーションギャップ
ところが日本でも仏壇を置く家が減っているように欧米でも自宅や教会で祈りを捧げる人は激減しています。キリスト教を自認していても聖書を読んだことがある人はほんの一握りです。*2というわけで、聖書の言葉を引用したり、著名な牧師や神父の説教を裏付けとして出して暗黙の了解を得ることは徐々に難しくなってきました。
またスピ業界は「キャッチーでわかりやすくすぐに効果が出そうな感じ」を大切にしているので、いきおい「こまけぇこたぁいいんだよ!」に流されがち。「父なる神?うわ、キモ*3」と思う世代が年々幅を効かせてきており、キリスト教色を排してふんわりキリシタンからふんわりだけを残す流れができました。
こうして結果的に「ハッピーな気分がポジティブ、嫌な気分がネガティブ」という非常にざっくりした区分が出来上がりました。大味を好むアメリカンテイストなニューソートって感じ。まとめるとこんな感じ。
キリスト教「神は心をごらんになる」
↓
ニューソート「思考は現実化するから神に喜ばれるよい思考を心がけよう」
↓
ニューエイジ「キリスト教に限定することなくね?」
↓
現代スピリチュアル業界「思考は現実化するから自分がハッピーになることを考えよう」
これを神道、仏教、儒教、そしてキリスト教がなんとなく生活に浸透している日本に輸入した結果、「マイナス思考」「ネガティブな感情」は「つまり陰気ってことか」と理解され、「くよくよしたり悩んだりするのはよくない」からはじまり、「恨みつらみ怒り憎しみ悲しみ後悔恐怖絶望」とざっくり嫌な感じがするもの全般を指す言葉として理解されるようになりました。陽気さいこう!上を向いて歩こう!あ、でも「涙がこぼれないように」なんていったらダメ!夜空の美しさに目を向けて!
でも本当に「上を向いて歩く」ときに「涙がこぼれる」というネガティブでマイナスな情報についてと考えることは新たな涙を引き寄せる結果になるのでしょうか? そもそも悲しみや痛みって悪いものなのか。
私は引き寄せの大流行って、アメリカを中心とした近代諸国家の病理に関係していると思うんですよね。大きく出ましたが、本当に。長くなったので今日はここまで。
つづきはこちら。
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