ミカミ ポーラのuranaisu

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マイナス思考&ネガティブな感情って悪いもの? その2

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こんにちは。ポーラです。

 

前回は巷で大人気の「引き寄せの法則」がキリスト教から派生したニューソートに由来すること、キリスト教の支持率が下がった現代ではさらに宗教色を排し、道徳を抜きにたいへんざっくりした「ポジティブ・ネガティブ」という区分が出来ているとういう話をしました。

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今回は何を基準にネガティブ・ポジティブをはかればいいのか、引き寄せ界が喧伝する説と私の考えをお話したいと思います。

 

「あなたの気持ちが良い時、あなたは良い思考をしている」

「神の愛、キリストの愛」という神を主体にした「ポジティブ」から「自分がハッピーになるのがよい思考、気分が悪くなるのは悪い思考」と堂々と書いて全世界で大ヒットした本にロンダ・バーンの「ザ・シークレット」があります。

この本にはキリスト教からニューソートに至る流れなどは説明されておらず、たまたま成功者を取材する映画を作っていたら驚きの共通点があった!という前フリではじまり、過去の偉人の言葉や世界の様々な宗教を探ってみるとそこにやはり同じ法則が…という流れで話が進んでいきます。

 

愛や感謝、与えることの大切さや親切の大切さをうたってはいるものの、ロンダ・バーンは「秘密」によって主に冨と名誉を手にすることを成功例として繰り返し強調しており、そのために頼りになるのは自分自身の感覚と思考だけだと断言します。

 

日曜日の教会に背を向けたみなさんもこれには感激。善悪の区別や厳しい戒律なんて必要ない!冨も幸福も健康も考えただけで手に入る!嫌な気分は追い払おう!「マーフィーの法則」で有名なジョセフ・マーフィーは神の教えを盛り込みながら思考の実現化を訴えて数々の著作を出しました。しかし21世紀のニューソートは「父なる神の教えを説く息子」ではなく完全によその子の顔をして登場し、おまえの父ちゃん大嫌い派を懐柔することに成功したのです。

 

しかし人の気分はネガティブ・ポジティブの基準になるほど信頼できるものでしょうか。

 

「実現化してほしい」と願うことはみな正しいことか

ある人が「あの人が法的に処罰されてほしい」 と考えたとします。その人が刑務所に入っているところを想像すると安心する。幸せな気分になる。だからそのことを考え続けよう。これはポジティブでしょうか、ネガティブでしょうか。

 

「そう考えることで気分がよくなるなら考え続けるべき」と考える人もいれば「処罰されることを願うのはネガティブ、改心することを願うか、その人がいない世界を想像するべき」と考える人もいるでしょう。

 

でもこの考えが正しいかどうかはどういう理由で処罰を望むかによります。暴力や死の危険にさらされ、そこからの保護を願っている場合と、人種や職業、性別による差別心から相手を隔離したいのか、まったく違いますよね。

 

ある地域ではレイプされた女性は「レイプされた」という罪によって死刑にされます。被害者の家族は身内がレイプされたことによって自分たち家族が不名誉にさらされたと考え、直接手を下して殺害することさえあります。

 

この場合、被害者の女性が加害者が法的に処罰され、身の安全が保障されることを願うのは当然です。一方いかなる理由であれ女性が夫以外の男性と性関係を持つことは死に値するという考えが一般的な文化であったとしても、被害に遭った女性が法的に処罰されれば家族の不名誉はすすがれると思うことはとうてい正しいとは言えません。

 

「これまで通りハッピーに暮らし、いつか素敵な女性と結婚したい」と願う加害者は「ポジティブ」、「私が死刑を免れ安全に保護され、加害者が法的に処罰され、このような犯罪が根絶されてほしい」と願う被害者は「ネガティブ」。「宇宙は正しいか間違いかに関係なく強い思考を再現する、だから被害者は罪を引き寄せている」と「引き寄せの法則」的には解釈できます。しかし実際にはこのような問題に声を上げ続けた人々が法改正を行い、差別を撤廃してきたのです。

 

感情は何を教えてくれるのか 

ある考えがネガティブなのか、ポジティブなのかは善悪の基準となる価値観が必要です。怒りや憎しみが正当なものか、見当違いなものかを考えるには、怒りの強さや気分の悪さではなく、何について怒り、何を憎んでいるかを知る必要があります。

 

引き寄せ本や自己啓発本でたびたび引用されるようにキリストはいつも人を愛すよう人々に教えました。しかしキリストは神殿で商売をしていた両替屋に激怒して、彼らの台を引っくり返して追い出しました。イエスには善悪の基準があり、目指すべきはっきりとした方向があったのです。

 

ネガティブとされる悲しみや後悔を切り捨ててしまうなら、私たちは心から大切に感じているものが何なのかを知ることができません。わきあがってくる感情は私たちに自分自身の価値基準を教えてくれるものなのです。

 

 怒りや悲しみに心を奪われるのは確かに辛いことです。でも大切なのは心に蓋をして「ポジティブ」な感情で上書きすることではなく、自分の気持ちと向き合うこと。その気持ちがどこから来るのか見定めることです。

 

善悪の基準を人に明け渡し、安易に「この気分は正しい、間違い」とレッテルを貼り、ポジティブシンキングの熱狂に陥るのは危険なことです。多くの扇動者はそうして人を崖っぷちまで躍らせてきたのですから。

 

そうはいっても嫌な気分に取りつかれるのはつらいもの。そんなときはこの本がおすすめ。 

 

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 滅多にさえずらない。

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