ミカミ ポーラのuranaisu

ミカミポーラが福岡は城南区のSalon de uranaisuで書いています。サロンいうても美容院じゃなくて占いするところよ。

真夏のホラーレビュー「カーミラ」 ガラスの仮面と禁忌の百合物語

こんにちは。福岡の団地妻占い師uranaisuです。昭和の女です。「ガラスの仮面」は花ゆめ本誌連載中に読んでいました。そして文庫じゃなくて単行本を立ち読みしていました。いや今も連載中ですね、ときどき。どうしてかな。

今日も今週のお題「読書の夏」にちなんで「ガラスの仮面」読者だった昭和の少年少女たちの喝采をほしいままにした劇中劇の原作「カーミラ」をご紹介したいと思います。

 

劇中劇「 カーミラの肖像」

ガラスの仮面」には名場面がたくさんありますが、そのひとつは卑劣な罠でヒロイン北島マヤを芸能界から失脚させた乙部のりえをマヤのライバルである姫川亜弓が舞台上で叩きのめす場面。ちなみに単行本では17巻、文庫版では10巻です。 

本編切羽詰まってるのにおちゃらけてるマヤ。この表紙は亜弓さんにやってほしかった。「ガラスの仮面」を未読の方のために劇中劇にいたった状況をご説明しますね。

 

天才少女女優北島マヤ大河ドラマのヒロインに抜擢され、世間の注目を浴びているさなか、付き人乙部のりえの陰謀でスキャンダルに巻き込まれ、演劇界から追放されてしまいます。思惑通りにことが進んだことを見届けた乙部は「マヤの稽古を見ながら台詞を覚えていた」とスタッフに告白。代役として見事マヤの穴を埋め、一躍スターの座につきます。

しかしマヤを唯一のライバルと認める姫川亜弓は乙部のりえの本性を知り、マヤの敵を舞台「カーミラの肖像」で討つことを誓います。「カーミラの肖像」は吸血鬼伝説を描いたもので、吸血鬼に狙われる令嬢ローラを乙部のりえが、吸血鬼カーミラ姫川亜弓が演じるのですが、稽古中の亜弓はどこか力を出しきっていない様子。その理由は舞台の上で明かされるのでした。

 

原作「カーミラ」に見るキリスト教の影響

舞台は人里離れた深い森の奥にそびえる古城。城主である父とその娘ローラのもとに訪れた、高貴で奇妙な貴婦人と美しい娘。婦人は「急用で旅をする素性を明かせない身分の者だ」と前置きして、旅の疲れで病におかされた娘カーミラを城であずかってくれないかとローラの父に持ちかけます。年の近い友達が出来たローラは美しいカーミラに夢中になりますが、カーミラは幼いころに見た恐ろしい夢に出てきた乙女にそっくりなのでした。

 

この物語はアイルランド人作家シェリダン・レ・ファニュが1872年に書いたもので、現在日本語でKindle化されています。KindleスマホアプリかKindleがあれば100円でいますぐ読めます。便利な時代になりましたね。

一連のホラーレビューを通して、ホラーにはその物語が描かれた文化的な価値観があらわれると書きましたが、この物語には西洋キリスト教の影響がとても強く出ています。吸血鬼は単に不老不死の化け物ではなく、神から見放された不信仰な冒涜者なのですね。

たとえばカーミラは讃美歌を歌いながら歩く子供たちが怖い。教会の鐘も怖い。もう常日頃から白い顔が真っ青になってしまうほどです。十字架は見たら死んじゃうというわけではなく、とにかく不愉快、大嫌い!という感じ。

また吸血鬼の弱点といえば陽の光。カーミラは朝日を嫌い、午前中は起きてきません。でも日光はそれほど苦手でもないようで、涼しい午後や黄昏時の散歩はそこそこ楽しんでいるようでした。朝帰りもしてたしね。ようするに昼の明るさを愛さないのは後ろ暗い人間だから、ということで、日光自体がだめなわけではないようです。朝寝も怠惰の罪を表しているのかもしれません。

 

ガラスの仮面」の劇中劇では、手の中で枯れていく薔薇をもった亜弓さんが「昔は本当に薔薇が大好きだったのよ」と一人涙を流すシーンがありました。実はこの場面が読みたくて原作を読みだしたのですが、原作にはこのシーンはありません。よく考えると聖書には百合は頻繁に登場しますが、薔薇と信仰心てあまり関係ないですからね。

でも当時のアイルランド人にとって怖かったけれど、現代の日本人にはあまりピンと来ない怖さ、そのキーワードは百合にあります。カーミラ」は乙女と乙女の恋愛を愛する人、つまり百合好き大歓喜な物語なのです。

 

禁忌としての同性愛とホラー

この物語は全編通してカーミラの情熱的な片思いが描かれており、「要するに血が吸いたいんだろ」とは片づけられないカーミラの熱い思いに気付かないローラの鈍さは読んでいてイライラするほど。

しかし「葉隠」など男色の手引書がまじめに取り扱われてきた日本とは違い、キリスト教は聖書によって同性愛を「絶対に起きてはならないもの、同性愛者は地獄行きやむなし」と信じてきました。同性に恋をするのは神をも畏れぬ所業なのです。

物語のなかでカーミラがローラを恋い慕う様子は人の生き血をすする吸血鬼の冒涜的な性質のあらわれであり、無垢な令嬢ローラがそれに気づかないのは鈍感だからではなく、清らかな者だから。そんな恐ろしい推論は想像することさえできないというわけです。

 

でもねえ。文字通りこの世の物ではないかのような美少女から「私はこれまでもこれからも誰にも恋なんてしないわ。あなた以外は」なんて言われて平気でいられるでしょうか。私はこれを読んで、亜弓さんとマヤでこの舞台をやってくれたらよかったなあと思わずにいられませんでした。「ガラスの仮面」全体が引っくり返るような展開になったんじゃないでしょうか。

亜弓さんの復讐劇はすばらしかったけれど、原作を知ってしまうと「乙部のりえじゃ話にならないよ!」と改めて乙部に腹が立ちます。まったくなんてことをしてくれたんだ。

 

魔性の星リリスと同性愛

占星術的に考えると、抗いがたい性的な魅力を感じる、理性で抑えきれない恋の虜になる相手が異性か同性かは選べません。

 

西洋占星術では月から冥王星までの10天体のほかに「感受点」と呼ばれるものがいくつかあります。これは地平線や天頂など、そこに星はないけれどチャートを読むうえで重要なポイントのこと。このひとつにリリスと呼ばれるものがあります。

リリスは伝承に出てくる女性の名前で、最初の人間アダムの最初の妻とされています。しかしリリスはアダムに対して不従順であるとされ、アダムのもとを去ることになりました。神はアダムの肋骨から従順な二人目の妻イブを作りました。

これは聖書に出てくる物語とはまったく別のお話ですが、この話にちなんで感受点リリスは本能による絶対的な誘惑の象徴とされています。

このリリスを太陽や月と近い場所に持つ人はいわゆる魔性の女になるタイプ。男性ならやさしい悪魔というところでしょうか。

 

太陽と月は占星術の世界ではライツと呼ばれ、他の天体より影響力が強いものと考えられています。実際鑑定の現場で見ていくと、自分の太陽や月とぴったり重なる位置に重要な天体や感受点を持つ相手と出会っている人はすくなくありません。

たとえば自分の太陽が獅子座の18度にある場合、獅子座の18度に月を持っている家族や友達が身近にいたり、獅子座の18度に金星や木星など自分を喜ばせてくれる相手を引き寄せていたりするのです。

このライツにリリスが重なっているとどうなるか。リリスが誰かのパーソナル天体と重なると、リリスに重なる天体を持った相手はその人のことがなぜかとても好きになってしまいます。

獅子座18度に太陽、20度にリリスを持つAさんが獅子座18度に月を持つBさんを引き寄せた場合、Aさんの太陽とBさんの月だけでなくAさんのリリスとBさんの月もほぼ重なります。するとBさんは単に太陽と月が重なったひと以上にAさんに夢中になってしまうのです。

芸能人では壇蜜さんが月とリリスの合を持っているのではないかと占星術家のユフネ先生は書いています。

多くのお客様を鑑定した個人的な感想としては、性的志向が異性であるか、同性であるかによらず、リリスは影響しているように思います。親兄弟など肉親であってもです。ですからリリスがらみは社会的に困った事態になる場合もあります。

カーミラはほかにもたくさんの少女を餌食にしてきてたのですが、ローラにここまで思い入れをするのはローラのリリスに反応していたのかも、と思うと占い師として深読みする楽しさがありました。そうだとするとカーミラにとってはローラこそ魔性の者というわけです。

 

禁忌とホラーと恋愛

現実には悩みの種ですが、障害のある恋愛、禁忌をおかす恋愛小説は人を夢中にさせる魅力があります。極限状態に追い込まれる、平気で禁忌をおかす人物が登場するホラーもそうです。そういう意味でホラーと恋愛ものには似たところがあるかもしれません。

というわけでカーミラは恋愛小説としても楽しめます。ただホラーとしても恋愛小説としても尻すぼみなんですよね。時代的に刺激の強い描写が出来なかったせいだと思いますが、その辺がとても残念です。「ガラスの仮面」もそんな結末を迎えることのないよう願っています。

 

 

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