シャーリー・ジャクスン「たたり」をハッピーエンドにする方法
こんにちは。福岡の団地妻占い師uranaisuです。先週のHanenaBlogの「今週のお題」が「読書の夏」だったので、日曜日がラストだと思って昨日3本書いたんですよ。しったら今週も!お題は!読書の夏だって!なんだよ!
ということで今日は「毒をくらわば皿まで」の精神で今週のお題「読書の夏」にあわせてシャーリー・ジャクスンの「たたり」をご紹介したいと思います。
これ実は図書館で読んだ本で、いま手元にないんですね。記憶違いがあるかもしれないので興味のある方は実際にお読みになってください。
ローカルな恐怖と普遍的な恐怖
前回、前々回に「何を怖いと思うかは社会的、文化的価値観による影響が大きい」と書きました。S.キングの「図書館警察」という本があるのですが、これはそのものずばり「本を返さない子供は警察に連れて行かれる」という一種の都市伝説をもとにしたものです。アメリカ版口裂け女は司法の姿をしているんですね。これは文化的に共有されている恐怖で、日本人のわたしから見るといまひとつ怖さが伝わりませんでした。
またアンソニー・ホプキンス主演の「ザ・ライト」というエクソシストをテーマにしたホラー映画(?)がありました。
あの映画にはやたら猫が出てきます。たとえばコリン・オドナヒュー演じる若手神父が悪魔祓いの専門家であるホプキンスのもとを訪ねる場面。「ここは江の島か?!」と思うほどの猫が神父のまわりでにゃーにゃー鳴きながら足元にまとわりついてきます。猫好き大歓喜!
すいません、いま予告を見直したら二、三匹でしたw
猫大好きな日本人は「神父さんだから捨て猫を放って置けなくていつかれちゃったのかな」なんて思ってしまいますが、猫と言えば魔女の使い。魔女は悪魔の使いです。そう、実はこの場面からすでに「この教会悪魔っぽいものがいてやばいよ!」という演出なのです。本編には確かベッドに飛び乗られた神父が絶叫するシーンもあったはず。猫怖がり過ぎ。これも「悪魔の使いかも?」という宗教的、文化的な恐怖が根底にあってこそなのですね。
これはこれで面白く見聞を広げるきっかけになるのですが、説明されてはじめてわかる怖さは解説されないと分からないジョークのようなもの。てっとり早い怖さという点でいまいちです。
一方シャーリー・ジャクスンが綴る恐怖は場所や時代は違えど世界中誰もが恐れる根源的な恐ろしさ、つまり不条理な死と集団からの無理解と孤立です。というわけで「たたり」はてっとり早く怖くて物悲しく後味の悪い思いをしたい方におすすめの一冊です。
不変的な恐怖は境界を超える
物語は32歳のエレーナ・ヴァンスという女性の視点で語られます。彼女は11年という長きにわたって母親の介護をしたのち、ようやくそこから解放されたばかりです。半生を母に捧げて職歴もなく資産もない彼女は姉夫婦に家を追い出され、心霊研究科のモンタギュー博士が募集していた幽霊屋敷のお泊り実験に参加することになりました。
参加者は幽霊屋敷の所有者の甥であるルーク、そしてルームシェアを解消したばかりという活き活きとした若い女性、セオドア。博士と参加者の4人はいわくつきの古城に寝泊まりしながら、そこで起きる怪奇現象の真実を見極めようとするのですが…。
ネタバレ検索でこられた方には申し訳ないのですが、この話は最後までこれといった種明かしもなく、ネタバレしようがないんですよね。あれ?これもネタバレなのかな。
城の中で日毎夜毎に起きる怪奇現象は血がビシャー!とかおばけがババーン!という派手さはいっさいありません。でもこんなにも真に迫ってくる怖い話を、私はほかで読んだことがない。
日中だけ城の世話をしているダドリー夫妻も不気味ですが、何より怖いのは語り手であるエレーナの心の輪郭が少しずつ曖昧になっていくこと。そして周囲がそれにまったく気が付かないままクライマックスへと話が進んでしまうことです。
なにかおかしい気がするけれど、自分の感覚が正しいのかどうかわからない。思い込みのような気もする。これは憑依状態にある人がよく口にする言葉です。精神的なバランスを崩した人もそうですが、正常な感覚を忘れてしまった人はいったい何を基準に異常に気が付くというのでしょう。
深刻な憑依状態にある人、精神に異変を来している人はことさら自分をおかしいと騒ぐより、自分ではごく冷静で、いつもより頭もすっきりして何もかもよくわかると思っているのではないでしょうか。
危機的な状況にあるのに周囲がそれに気付かず、よかれと思って絶望的な提案をする。傍から見るとそこまで困っているように見えないせいで誰にも助けてもらえない。気に留められないまま極限状態に陥り、それを周囲に説明することができない。
そういった状況は怪奇現象抜きに誰の身にも起こりえます。なんだかとても身につまされる、切なくて後味の悪い物語でした。
占星術的な視点から見たエレーナ
物語としてはこれ以上なにも付け足すことがないと思うほど完成度の高い作品ですが、もしもエレーナがお客様としてこられたら占い師として何が出来るかを考えてみました。エレーナがお客様であの結末だったら夢見が悪いですからね。
こうした不安定さの原因を探る時、占星術では月と海王星と金星に注目します。この三つはどれも他者との境界を曖昧にし、よくもわるも感情の振幅を大きくする天体とされているからです。
「ずっとお城で暮らしてる」のメリキャットのように場所が悪いということももちろんあります。また作中で明らかにされているように、エレーナの抱える孤独と古城が持つ因縁が互いに共鳴したということもあるでしょう。
でも、もしもエレーナが鑑定に来たなら、私は彼女のホロスコープに海王星がどう影響しているのかを見たと思います。
エレーナがこれほどの混乱に巻き込まれた理由がトランジットの海王星のヒットと関係していたなら、どんな手段でもいいからそれをやり過ごすというのがひとつの解決策になると思うからです。
「ねじの回転」の記事にも書きましたが、海王星は幽界の象徴であり、フロイトの研究をはじめとする心理学の象徴でもあります。海王星は映画の象徴でもあるので、彼女がいっそハリウッドなどへぽーんと飛び出して、そこで仕事につけたなら、すごいヒット作に関われたかもしれません。
もしもいまそうした混乱の中で助けを求めている方がいらっしゃるなら、とにかく絶望してしまわないようにしてください。明日がよくならないと断言できる人はいません。多くの芸術家は感性の鋭さと普遍的な孤独を抱えてすばらしい作品を生み出しているのですから。
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