ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」恋する乙女編
こんにちは。福岡の団地妻占い師uranaisuです。今週のお題「読書の夏」といえばホラー小説もありましたね。そういえば子供の頃は夏休みといえば心霊体験の再現VTRを見るのが楽しみでした。でもあんなの見てもちっとも涼しくならないんですよ。むしろ夜になって怖くなり、タオルケットをぐるぐる巻きにして寝るから暑い!
大人になったいまでも深夜にうっかり「エニグマ」を読んだりするとお布団ぐるぐる巻きにする羽目になるので、読む時間帯には注意しています。そして「ほん怖」「洒落怖」は読みません!でも再現VTRって面白いですよね。
今日は過去記事のお引越しをしたので、ここで異色ホラー小説「ねじの回転」を西洋占星術的に解説したエントリーを再掲したいと思います。
恐怖に見られる文化的背景
子供の頃みた心霊番組の怖さは単純に幽霊怖い!というものでした。でも大人になって見ると、何を怖いと思うかには文化的、宗教的、また社会的な価値観が反映されることに気が付いて、ときには子どもの頃とは違う視点から怖さを覚えるようになりました。
ここではアメリカのホラー番組の再現VTRを日本人的な価値観で見ると違和感を覚えるという話を書いています。心霊番組に幽霊が出る場合、日本人ならその幽霊は現世に心残りがある死者だ、と解釈しますが、アメリカでは「神に見放されるような罪を犯した不信仰な者がさまよう霊になる」と解釈しているようです。
仏教の「成仏」と似た概念としてキリスト教には「昇天」がありますが、日本的仏教では成仏は供養によってなされるもの。一方アメリカ的なキリスト教では無垢な魂は神によって救われると信じられています。ホラーハウスに訪れた霊媒師が死者の霊を慰めるのではなくとにかく一方的に「キリストの名において命じる!出て行きなさい!」と高圧的だったのも印象的でした。冝保愛子さんとはだいぶ違いますね。
「ねじの回転」のもう一つの土星
前置きが長くなりましたが、以下の二つが「ねじの回転」の感想です。
上の二つの記事の中では「幽霊である海王星、未来に生きる子供という天王星による、土星と言う社会秩序の崩壊をヒロインは恐れていたのではないか」と書きました。しかし今回読み直してみて思ったのですが、この土星の崩壊は彼女の中でも起きていたのかもしれません。
恋が土星を破壊する
Kindleが戻ってきたこともあって気が付いたのですが、作中でヒロインの名前は明かされていないんですね。これはこの物語が実在の女性が自分の体験を手記として書いたものとされているせいでもあると思いますが、仮名すら出てこないのはちょっと珍しい気がします。
「女家庭教師」である19歳のヒロインは「赤毛のアン」や「あしながおじさん」といった大人になる手前にいる乙女と同じ世代。ハンサムな雇い主への仄かな想いを抱く恋する乙女でもあります。
そのヒロインが名前すら明かさず、終始子供たちを「破壊的な影響」から守ろうと思い詰めているのは、実は彼女自身が雇い主への身分違いの恋を抑圧しているせいなのかもしれません。最初にクイントに遭遇する場面の直前に彼女がぼんやりと考えていたのはハンサムな雇い主のことだったのも象徴的です。
クイントが旦那様に似ていたという家政婦の証言。そのクイントに恋して禁を侵した前任の女家庭教師。ヒロインは自分自身も彼女のように恋の力で「堕落してしまう」と考えたのではないでしょうか。
ネイタルチャートで土星がライツ、7ハウス、5ハウスのルーラーとタイトなアスペクトを持っている人は常識的に生きることを重んじます。ハードアスペクトの場合は抑圧的になることもありますが、ソフトの場合は当然のこととして真面目な生き方を選ぶ傾向にあるようです。
こういう方が恋に落ちるのは関係する天体に何らかの形で海王星がタイトなアスペクトを取る時。トランジットでもシナストリーでも影響は強く出ます。海王星は夢や憧れ、ロマンを象徴し、「酔っぱらう」「ラリ状態」なども意味します。
牧師の娘としてまじめに生きてきたヒロインは恋の浮遊感と土星の抑圧でバランスを崩してしまったのかもしれません。そしてそれを外部に投影したのが幽霊たちだったとも考えられます。シェイクスピアの物語にも女主人と入れ替わった使用人が狂ってしまう話がありますね。
迷作だからこそ名作
うーん、はじめて読んだ時は置いてきぼり感がすごかった「ねじの回転」ですが、こうして深読みしたくなる力がすごい。作者の思惑からは外れていっている気がしますが、いつのまにかはまる。長く読み継がれる話はやはりそれだけの力がありますね。Kindle版ならいますぐ読めます。いかがですか?
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