ミカミ ポーラのuranaisu

ミカミポーラが福岡は城南区のSalon de uranaisuで書いています。サロンいうても美容院じゃなくて占いするところよ。

「エネルギーの等価交換」説と「無料・安価希望者は避けるべき」説

今日は五十日なのでお金の話をするよ。

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スピリチュアルヒーリングとはエネルギーの等価交換である。
よって価値のあるヒーリングエネルギーを受けたら
価値のあるエネルギーを支払う必要がある。
そうしなければバランスが崩れ、何らかの形でヒーリー*1に弊害がある。

また、安価や無料を望む人を受け入れると
セッションの価値を認めない人ばかりが集まるようになる。
本当に癒されること、問題解決を望んでいる人は喜んで対価を払う。
対価を出し惜しむ人は本気で解決を望んでいないので
セッションを受けても進展がない。

という通説がある。これは論理的におかしな話だと私は思う。

まずヒーリングのエネルギーをお金に置き換えることができるのか、という点。
すべての物質はエネルギーである。よってお金もエネルギーの一つである。
ここまではそういう見方もあると思う。
しかし燃料と違ってお金が持つエネルギーは絶対的な単位になおせない。
金銭のエネルギーが固定したものでないのは為替相場を見ればすぐわかる。
20年前バブル当時に500ドルだったセッションが
この先20年後の日本でいくらにすれば妥当かなんてわからない。

本気でエネルギーの等価交換を信じる人がいるなら
なんであれ商品として価格が設定されているものに対して
マッサージであれ美容であれパンや野菜であれ
提示されている価格の妥当性を日ごろから真剣に考えているはずだ。
そして差分はチップを払うなどしていることでしょう。いかがですか。*2

また、金銭のエネルギーは持っている人によっても変化する。
イエス・キリストが神殿で貧しい女が寄付をするのを見て
「あの女は誰より多くの寄付をした。暮らしのもとをすべていれたからだ」
と言った話が聖書にある。*3
困窮しているときの1万円と裕福なとき1万円では価値が違う。

喜んで支払うかどうかは必ずしもセッションに対する本気度と比例しない。
「おもしろそう」で高額なセミナーに趣味のお金を出せる人もいれば
「暮らしのもとすべてを」セッション費に払う人もいるだろう。*4
それらのお金が同じエネルギーを持つとは私には思えない。

「こちらで調整しなくても状況に応じてエネルギーは自動的に変化するのだ」
という主張もある。だったらお金に置き換える必要なくね?
いくら払ったか関係なくね?お金持ちは貧しい人より損するんじゃね?
いいエネルギーを受け取るために犠牲払う必要があるなら、ほかでもよくね?
道路清掃とかゴミ拾いとか家族に手紙書くとか家事手伝いするとか。
あれか、ヒーラー個人に犠牲を払わないといけないのか。
「ヒーラー個人に犠牲を払えば払うほどいいエネルギーが受けられます」
エネルギーの等価交換の意味するところがこれなら、かなりの危険思想だよ。

「時間単価ではない。学びと鍛錬にかかった費用が上乗せされているのだ」
という主張。そうです。それが商売です。士業と同じ。精神論ではない。
商売という視点で見たら、エネルギーの「等価交換」じゃ商売は成り立たない。
原価に利益があっての商売だ。
「原価割れが起きる、商売上がったりだから負けられない」
と主張するのは正当なことだけど
「値下げすると顧客に害が及ぶ」と言い出す店があったらまず信用できない。

安い単価でしか仕事をくれない人と関わると困るのはどの商売も同じだし
経費以下で仕事を請けたら成り立たなくなるのもどの商売も同じ。
その上で、相場や品質を考えてみなさん価格設定をして仕事を請け負っている。
で、高くね?!と驚かれているわけです。占い、スピリチュアル業界は。

実際高いかどうかはサービスを提供する人によるとわたしは思う。
寿司屋だって値段が妥当かどうかはネタじゃなく板前による。
美容師も、マッサージ師も、噺家も歌手も役者もそうだ。
腕があるなら高くないし、ないなら金貰っても関わりたくない。

お金をかければかけるほどいいものが手に入りやすい分野は確かにある。
果物とか、飛行機のシートとかね。
占い・スピリチュアル業界はそうではない。
でも手にして確かめてから購入するわけにいかないので難しい。
いずれにしてもサービス業はクーリングオフが効かないので、ご利用は計画的に。

ファンドレイザーが語るシビアで不思議なお金の話。天地が引っくり返る

*1:ヒーリングを受ける人

*2:背後に児童労働が関係している可能性が高いチョコレートなんかいくらで買うのが妥当なのか。

*3:それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、有り余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」ルカ21章1、2節

*4:カードで借金してくる人もいるそうだよ・・・。